とある日本人『奇跡講座』学習者の困惑

『奇跡講座』は難しい、でも楽しい!

4.聖霊ってなんなの ③<聖霊を選ぶということ>

聖霊を選ぶということ>

 

聖霊も私も、実体ではない。概念である。

 

そして私とは、「私とは物質であり、体であり、それが世界から切り取られて独自に存在することができると信じる概念」である。また聖霊とは、「私とは世界全体であり、また、世界全体が、私が存在するという概念によって生じる概念である」ことを知る、概念である。

つまり両方とも私なのだ。

 

聖霊と私は、一つの出来事に対して、二つの別々の自己概念に基づく別々の思考体系に基づき、別々の態度をとる。

私の思考体系、つまり自我の思考体系は、私と世界は分離しているという信念に基づく。だから、自我の思考体系に基づいた態度を取れば、私と世界は分離を強化する。

聖霊の思考体系は、私も世界も概念であり、存在しないという「事実」に基づく。この「事実」は自我的には信じ難いが、実際に物理学の世界で、物質は量子レベルにまで解体され、観察者の介在なしには物質になり得ないということがわかり始めている。聖霊の思考体系に基づいた態度を取れば、私と世界は分離を解消することになる。

 

仏教的には自我的思考体系は利己的思考体系、あるいは悪因悪果の理であり、聖霊的思考体系は利他的思考体系、あるいは善因善果、ということになるだろう。

 

『奇跡講座』から少し逸脱するが、自我的思考体系とは、生き物の、その自己同一化した体から上がってくる、この体を保持したい、生きたいという欲求に基づく、攻撃と防衛の反応の体系である。私の心というものがあって、それが自我を保持し、この体で生きたいと願うのではなく、体からの化学的な反応が、私の中に生きたいという願いを生み、それが心になる。

そして聖霊的思考体系とは、その反応を生み出す体はない、という認識から、自我的思考体系を訂正する体系だ。

そして大事なのは、この二つの体系を思考する概念は、違うレベルに存在するということだ。コインの裏表のように存在するのではなく、別々のコインとして、別々のレベルにある。

つまり、自我的思考体系で思考する私が、『奇跡講座』を学ぶことで、体からの化学反応を振り切って聖霊的思考体系で思考できるようになるわけではない。聖霊を選ぶということは、自分に対する概念を変え、そちらの思考体系に乗り換えるということであり、心を訓練するということは、そこに留まり続けるということだ。