とある日本人『奇跡講座』学習者の困惑

『奇跡講座』は難しい、でも楽しい!

スクロールで一気読み用

書いてみたら結構な量になりましたので、少しずつ分割してお読みいただくのがいいかと思い、ブログ形式でアップしたのですが、ページめくるの面倒だ、という方がいらっしゃるかもと思い、こちらでスクロールで一気読できるように、全部の内容をこのページに…

おまけ ショート・ショート

<割れたコップ> 割れたコップを目の前に、『奇跡講座』的自我は、 「これを割ったのは自分だ」 と言った。 なぜなら『奇跡講座』的自我にとっては、行為者がいなければ結果がないからだ。 「私が、コップを、割った」 そして、割ってしまった罪悪感を抱え…

最後に

私の長い愚痴にお付き合いいただき、ありがとうございました。 恥ずかしながら、ろくな学びをせずにいい歳になり、歴史も文学も、そして哲学にも宗教にもほとんど興味がないまま、『奇跡講座』という分厚い本に導かれることになり、七転八倒した十数年であり…

まとめ ⑥<聖霊とは私である>

<聖霊とは私である> そして聖霊とは、 「分離は起きていない、私は無辜である」 という正しい自己認識の、私である。 分離を信じ、自分と体を同一化させた私は、この体を存続させるために、罪を冒し続けなければならない。これを何とかするには、自分は体…

まとめ ⑤<本心>

<本心> さて、そういう状況が整った時に、ようやく、自分の本心に気づくことになる。 恐怖を選ばないという、ただそれだけのことができない。 ほんっとうにできない。 訓練されていない心は、脊髄反射で恐怖を選ぶ。選び続ける。 遥か太古の遥か彼方での分…

まとめ ④<神の子として立ち上がる>

<神の子として立ち上がる> そして1項目目、「御父がわからない」。 私は、超越的な存在に関しては、仏教的な「ない」で語るのに慣れているので、神を実在するかのように語られることに違和感があり、 「なんか嘘くさい」 と感じる。 また私にとっての神と…

まとめ ③<帰れない>

<帰れない> そして2項目目の「罪悪感がわからない」 私の自我の物語は、分離後から始まっており、それ以上遡ることはしない。 そして日本人ぽく、わからないことはそのまま受け入れる。 なので『奇跡講座』的な分離前の物語を語ることは、たとえそれ自体…

まとめ ②<『奇跡講座』は、「ある、ない」で語る非二元論だ>

<『奇跡講座』は、「ある、ない」で語る非二元論だ> まず最初に、3項目目に取り上げた、「『奇跡講座』は非二元論なのか」という問題から。 私は『奇跡講座』が非二元論であることに自信が持てなかったが、その違和感の原因は、「ない」だけで語る仏教と…

まとめ ①<立ち位置を決める>

そろそろ愚痴のまとめに入ろう。 <立ち位置を決める> 父的神と子の関係は、超越的存在と、それを裏切った私という物語で存在している自我との関係である。 この自我は、父親に対する子のように、一人前の存在として自己を立ちあげている。 だから『奇跡講…

4.聖霊ってなんなの ④<聖霊と仏性>

<聖霊と仏性> 聖霊とは自分のことであり、聖霊を選ぶということは、自分に対する概念を変えるということだ。 これを踏まえて、改めて聖霊とは何か。 思い起こされるのが、「仏性」である。 仏性とは、Weblio辞書によると、 人や生き物の内奥に存在すると考…

4.聖霊ってなんなの ③<聖霊を選ぶということ>

<聖霊を選ぶということ> 聖霊も私も、実体ではない。概念である。 そして私とは、「私とは物質であり、体であり、それが世界から切り取られて独自に存在することができると信じる概念」である。また聖霊とは、「私とは世界全体であり、また、世界全体が、…

4.聖霊ってなんなの  ②<聖霊も私も概念>

<聖霊も私も概念> 聖霊がわからない直接的な理由は、母的神の子にとって、その代替になるような概念が存在しないからだと思う。聖霊を精霊と表記する人がいるが、それくらいに曖昧な存在だ。 勉強会やセッションでも、 「聖霊って何ですか」 と聞かれるこ…

4.聖霊ってなんなの  ①<聖霊の機能>

さて、ここまでくると、『奇跡講座』が与えられたことについて、感謝こそすれ、文句を言おうという気持ちにはならなくなった。 ところが、最後の難関が残っている。 聖霊である。 御父もわからないが、聖霊のわからなさも大概だ。 聖霊とはどちらさまなのだ…

3.非二元論ってなんなの?  ⑩<ここが始まり>

<ここが始まり> 日本人のくせに自然と一体化して溶けていく感性を失い、かといってキリスト教をはじめとする一神教には関心がない。 神との絆は完全に断たれている。 そもそも私の人生が、『奇跡講座』を学ばねばならないところまで追い詰められたのは、こ…

3.非二元論ってなんなの?  ⑨<日本人のくせに>

<日本人のくせに> しかもさらに残念なことがある。 本当は日本人の信仰は、私のように適当ではない。 私がそれを取り落としているだけだ。 なにごとのおはしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる これは日本人の宗教観を表す歌として知られる、西…

3.非二元論ってなんなの?  ⑧<結局は、信仰心>

<結局は、信仰心> さらにもう一つ、私が純粋な非二元とはなんだとか、『奇跡講座』の非二元論を不自然だとか、ぐだぐだと言う理由は、多分これが一番根本的で、ここまでの愚痴の全ての答えなのだが、私の信仰というものに対する姿勢が、世界で一番くらいに…

3.非二元論ってなんなの?  ⑦<too much>

<too match> いろいろな事情が積み重なり、私は、神秘的なものを断定的に「ある」と表現することに違和感を感じる。 なので私は、『奇跡講座』の表現を過剰だと感じてしまう。 愛や真理や御父や聖霊や天国を、そういう名で呼ぶことが正確ではないと感じ、…

3.非二元論ってなんなの?  ⑥<ふんわりしててほしい>

<ふんわりしててほしい> 『奇跡講座』には『奇跡講座』の、仏教には仏教の背景があって、同じ非二元論でもそれぞれの表現に違いが生じる。 そしてそれとはまた別に、これはもう全く学問的問題ではなく、私の個人的な思い込みなのだが、仏教的非二元論に対…

3.非二元論ってなんなの?  ⑤<あるとかないとか>

<あるとか、ないとか> そしてもう一つ、『奇跡講座』の非二元が、仏教とはどこかが違うと感じてしまう理由として、『奇跡講座』の土壌である西洋的な思考体系と、東洋的な思考体系が違うということが挙げられると思う。 西洋的なロゴスの思考体系では「あ…

3.非二元論ってなんなの?  ③<何かが違う?>

<何かが違う?> 『奇跡講座』は、仏教と同じ非二元論だ。 それはそれでいい。私は保守的な自我なので、自分が学ぶ体系が思想史的に伝統的な論理体系であるとわかったほうが、むしろ安心する。 しかし、何かが違う……ような気がする。 『奇跡講座』の「愛が…

3.非二元論ってなんなの?  ②<削り出す>

<削り出す> 純粋な非二元論と、非二元論と、あと不二一元論と、一元論。 これらは同じようなことを言っているような気もするが、なんかそれぞれ言いたいことが微妙に違うような気もする。 少なくとも、りんごとみかんは同じか違うか、というような話にはな…

3.非二元論ってなんなの?  ①<純粋な非二元論>

さて、ここまで、 御父がわからない。 そして御父を裏切った記憶がない。 だから罪悪感がわからない。 という愚痴をこぼした。 で、ちょっと話が飛ぶのだが……。 <純粋な非二元論> 『奇跡講座』の特徴は、「純粋な非二元論」であることだと、言われることが…

2.分離した覚えはありません  ⑥<ハイブリッド自我>

<ハイブリッド自我> 私は、地域的には、 「なんだかわからないけど、なんとかしてー!」 と叫ぶ多神教的自我に属する。 しかし多神教徒として無自覚すぎたし、仏教徒としてもあまりにいい加減だった。 そして子どもの頃からの学習の方向性は、キリスト教的…

2.分離した覚えはありません  ⑤<被害者の論理>

<被害者の論理> 手を滑らせて割ったコップに対して、人は二つの言い方をすることができる。 一つは、 「私が、コップを割った」 で、もう一つは、 「コップが割れた」 だ。 前者は、コップが割れたという状態に対して、誰がどのようにその状態を作ったかを…

2.分離した覚えはありません  ⑤<業>

<業> では「自然発生的に生まれてしまった」という物語を、自分の存在の物語にしている私にとって、罪悪感に相当する感覚、つまり「生きることの罪深さが自分のあり方に起因するだろうと感じる感覚」は、なんなのか。 母的神の子でありながら、なんちゃっ…

2.分離した覚えはありません  ④<身に覚えのない原罪>

<身に覚えのない原罪> 話を戻して、母的神の子である私にとっては、神に対する「罪悪感」という言葉に違和感があるということについて。 『奇跡講座』で罪悪感という言葉が選ばれるのは、キリスト教では罪悪感の元になる原罪、つまり「神に対する罪」が語…

2.分離した覚えはありません  ③<ついでに『愛している』の問題>

<ついでに『愛している』の問題> 語感ついでに、こちらも取り上げておこう。 罪悪感と同じ感覚で、どうしても慣れないのが、 「神はあなたを愛している」 という、キリスト教の根幹についての語感だ。 初めは 「愛」 という単語が、宗教的な文脈で使われる…

2.分離した覚えはありません  ②<語感の問題>

<語感の問題> 罪悪感のわからなさの理由の一つには、罪悪感という言葉に対する違和感がある。 罪悪感というのは、犯してしまった罪に対する感覚のことだ。 そして母的神の子である私としては、神に対して禁を犯すことはあっても、罪を犯すことはできない感…

2.分離した覚えはありません ①<罪悪感>

<罪悪感> 「気がついたらここにいました」 と言う私は、自我としての存在が無自覚すぎて、赦しの主体になれない。 そして、『奇跡講座』の罪悪感がよくわからない。 まずは罪悪感の方から片付けよう。 とはいえ、罪悪感が全くわからないというわけではない…

1. 御父ってどちらさま ⑤<責任者でてこい>

<責任者、出てこい> では、母的神に私が投影している誕生の物語とは何か。 母的神の子である私は、父的神の子たちのように、自己が確立していない。私は自然の一部として産み落とされ、生きて、死んで、自然の中に返っていき、そしてまた産み落とされる、…