3.非二元論ってなんなの? ⑩<ここが始まり>
<ここが始まり>
日本人のくせに自然と一体化して溶けていく感性を失い、かといってキリスト教をはじめとする一神教には関心がない。
神との絆は完全に断たれている。
そもそも私の人生が、『奇跡講座』を学ばねばならないところまで追い詰められたのは、ここが始まりだったのではないかと思う。
和魂洋才の「魂」がすっぽりと抜け落ち、中途半端な洋才でできている私(和魂は金にならないが洋才は金になるからだ)に、中途半端ではあっても、せめて残っている洋才。
これだけが私の最後のツールであり、そこに『奇跡講座』が現れた。
『奇跡講座』を学ぶうちに、神なしで生きられると思うことがどれほど傲慢なことか、そして聖霊の助けで御父の愛に支えられることがどれほど有難いことか、嫌というほど思い知らされたので、私は、神について、わからないといい、いるとかいないとか(いるとはどういう意味かにおいて)考えたりはしても、いないとは思っていない。
ようやく、「かたじけなさに涙こぼるる」という気持ちに、素直に共感できる気がする。
しかし最後に、もう一つ、いるんだかいないんだかきっちりしておきたい存在がある。
聖霊だ。