2.分離した覚えはありません ⑥<ハイブリッド自我>
<ハイブリッド自我>
私は、地域的には、
「なんだかわからないけど、なんとかしてー!」
と叫ぶ多神教的自我に属する。
しかし多神教徒として無自覚すぎたし、仏教徒としてもあまりにいい加減だった。
そして子どもの頃からの学習の方向性は、キリスト教的だ。
日本的なものはだめで、欧米的なものがいいんだ、という社会的風潮の中で大人になり、おばさんになった。感覚よりも理性を重んじ、物事を論理的に考えるのがいいと思ってきた。また私の持って生まれた性格自体も、必要以上に理屈っぽかったし、感覚的には鈍かった。
ところが、この論理性も中途半端なのだ。
そもそも日本人の思考は、そしてそれを支える日本語は、合意と調和を求めるためにあり、根本的に論理には向いていない。その上、その論理の根本にある神への信仰が欠落しているので、日本人の論理には力がない。
つまり私は、キリスト教的自我と多神教的自我のハイブリッドで、両方に中途半端に接しているのでどちらにも共感できないが、あえて言えば、多神教徒的自我の方には多少の感覚的馴染みがあり、思考的にはキリスト教的自我に馴染みがある。