3.非二元論ってなんなの? ⑤<あるとかないとか>
<あるとか、ないとか>
そしてもう一つ、『奇跡講座』の非二元が、仏教とはどこかが違うと感じてしまう理由として、『奇跡講座』の土壌である西洋的な思考体系と、東洋的な思考体系が違うということが挙げられると思う。
西洋的なロゴスの思考体系では「ある」の反対は「ない」だ。真理も愛も、御父も聖霊も天国も、「ない」でなければ、自動的に「ある」になる。
しかしインド系の思考体系にはレンマなるものがあるそうで、これでは「ある」の反対は「ない」にはならない。その中間、というのがあるらしい。ここは難しすぎて深く突っ込めないのだが、物理的にそこに存在するもの以外については、おそらく「ある」も「ない」も、
「あるんだかないんだか、はっきりしろ!」
ということではなく、
「あるとも言えるしないとも言えるし、それは『ある』をどう捉えるか、『ない』をどう捉えるかによる」
みたいに物事を論じるらしい。
仏教が、「ある」と言わずに「ない」だけで論じられても、虚無にはならない理由は、この辺りにあるんじゃなかろうか。