とある日本人『奇跡講座』学習者の困惑

『奇跡講座』は難しい、でも楽しい!

2.分離した覚えはありません ①<罪悪感>

<罪悪感>

「気がついたらここにいました」

と言う私は、自我としての存在が無自覚すぎて、赦しの主体になれない。

そして、『奇跡講座』の罪悪感がよくわからない。

 

まずは罪悪感の方から片付けよう。

 

とはいえ、罪悪感が全くわからないというわけではない。

人は誰でも、生きることに罪深さを感じている(一部そうは感じない人がいて、その人をサイコパスと言うらしい)。私も感じる。それは愛や生きるための糧やその他諸々を、自分以外の何かから奪わなければ生きられないという、私の存在のしかたに起因する。また、自分の心の中に、その罪を犯してでも、なんとしても生きたいという凶暴な衝動も、生々しく感じる。